藪を突いて蛇を出す、とはこういうことに違いない。
 バカな友人の口車に乗せられてここまで走って来てみたが、これはこれでとても面白い状況だ。
 敵は6人。邸宅の裏に広がるバカみたいに広い庭園の奥に奴らはいる。真ん中の池を挟んで、邸宅の軒先に飛び出したばかりの俺を囲い、半包囲の位置で拳銃を構えている。素敵なことに、全員が全員とも鞘に収めた直刀のような武器も携え、臨戦態勢だ。
 それぞれまでの距離は、約10メートルずつ。邸宅の送電線は切られており、重く暗い蒸すような闇に押し付けられながら、日本庭園の不安定な足場に関係なく、奴らは正確に等間隔に並び半円を描いている。
 想定されている奴らの戦闘能力なら、まだ一切の武装を抜いていない俺までは1秒とかからずに到達するだろう。Tシャツとジーンズというラフな格好だが、奴らはいい重心移動を見せている。しなやかで強靭な鍛え方だ。火器でも剣術でも相当に高い戦闘力だと一目で分かる。
 不利、という言葉が頭の中に浮かんだのか、俺の背後に控えた上司が微かに息を呑むのが聞こえた。それでも俺を信用していることは、背を向けて逃げ出さない彼女の気丈な姿から見て取れた。
「よく我々だと分かったな」
 真正面、半包囲の真ん中に控えるように立つ老人が口を開いた。年齢のわりに張りのある声音だ。本当なら、この国最高齢と認定されるはずだったが、数奇な運命が彼を翻弄したために今の彼は国民として認識されていない。
 今後もそんな恩典は与えられない。それを帳消しにして余りある罪を犯した奴らを赦す法は、この国には存在しない。現に、老人の足元にはもう1人の老人――この邸宅の家主――が正座させられ、立っている老人の杖で後頭部を押さえ付けられている。首筋を晒し、小刻みに震えていた。
 その格好はいわゆる処刑スタイルであり、杖の老人はいわゆる現行犯だ。
 ならば、職務として言うべきことは言わなければならないのだが、そんなつまらない話をする気はなかった。
「犯人像が奴の言った通りだったからな。捜査はたいして苦労しなかったさ」
 声に滲み出ていた俺の感情を読み取ったのか、上司が背後から睨むのを感じたが、俺にはどうすることも出来なかった。自分の頬が緩むのを止められない。嬉しくてしょうがないのだ。
 老人が眉を顰めた。
「奴?」
 老人との会話が嬉しいのではない。そんな物は、キャバクラのホステスと話していているよりもつまらないし、スポンジのような頭しか持たないホストを取り調べているよりもムカつく。反吐が出る。
「きっかけは変人のダチのお陰さ」
 敵と言葉を交わしながら、これから始まる蹂躙に、笑いが止まらなくなりそうだ。
「学歴も無いし、定職にも就いてないが妙に頭の回転がいいし、想像力――いや、あれは妄想癖だな…――そいつに事件のあらましを伝えたら、ヒントをくれたのさ」

 60年目の亡霊

「なんだいなんだい?」
 コール音3つで奴の声が聞こえる。暇人は電話に出るのが早い。
「相変わらず早いね」
「なんだ?冷やかしか?切るぞ」
「御無体な…」
「やかましい。用件は何だ」
 変人の友人は、大学を中退しフリーターで金を稼ぎながら、国家試験を受けては失敗しているどうしようもない奴だ。趣味で小説を書きネットで公開しているが、ネタは面白くても文章力がいまいちな程度。大学まで剣道を10年続けたが、中退と同時にもう6年も竹刀を振っていない。
 ただ、身体を鍛える気はまだまだあるらしくて、時々時間を割いているようだ。総じて変な奴だが、自分で自分のことを“節度ある妄想癖”だと言っている。
 まさか、このいい加減なつもりの電話が、事件解決の糸口になるとは、俺は思っていなかった。電話をかけたのは、面白いネタを友人に提供してあげて適当に冷やかすつもりだったからだ。
「お兄さん。完全犯罪の条件ってなんだと思う?」
 俺は奴のことを“お兄さん”と呼ぶが、別に俺より年上だと言うわけじゃない。中高の同級生だ。呼び方はただの癖だ。
「完全犯罪…?」
 受話器の向こうで、沈黙がしばらく続く。考え込んでいる様子だ。
 最近、アルバイト先の戦略も戦術も兵站も人材も、前線指揮官のやる気も全てダメになった、と言ってバイトを辞めたために、今までに無く精神活動に力が入っているからこういう問いかけに真剣に向き合う余裕があるのだろう。
 不意に、思い出したように奴が口を開く。
「そういえば、例の“杏の訳”はどうした?」
 本当に思い出したようだ。
「あ、ごめん忘れてた」
 奴の小説のために、杏を他の言語に訳して欲しいとか言っていたはずだ。俺の同僚に、その言語圏で働いていたことがある人物がいるからだ。というか今目の前で爆睡中だが、無碍に起こすとろくな事にならないライオンよりも危険な動物なので、返答は後回しにしておく。
「ま、いいや。仕事忙しそうだしね」
 暇人だが、忙しいこっちの身は気にしてくれている。こういう気が利くような利かないような性格だから、奴の彼女もこいつを放っておかないのだろう。
「いやぁ。ごめんね」
 俺はいつもどおり、適当に謝っておく。悪いなんてこれっぽっちも思ってない。
「で?完全犯罪だっけ?」
 奴は、脱線した思考をきちんと元に戻すことが出来る、不思議な思考力の持ち主だ。というか、マメな性格なのだろう。
「うん。そう」
「直接証拠がなくて、容疑者にアリバイがある?とか?」
「うむ」
「ああ、状況証拠でも有罪判決出るんだったな」
「そうだね」
 奴の頭の中の様子が気になる。状況証拠で有罪が出たニュースはたくさん報道されたが、奴自身にはまるで関係無いことなのに、些細なことをいちいち覚えている奴の脳みそは不思議だ。普通の人は“うわ。カレーで人殺しまくってるよ”程度にしか観ていないのだが、この男は仔細まで覚えていたりする。
「何かあったの?」
 俺の話しぶりが気になるのか、食いついてきた。
「実はさ、凄いホラーなもんに出くわしちゃってさ」
「ホラー?」
 さらに楽しげに食い付いてくる。こういう有り得ない現象には興味を持って首を突っ込みたがる男だったな、そういえば。
 UFOは“未確認飛行物体”の訳なんだから、別におかしい物じゃない、とか、宇宙人がいないと否定するほど人類は宇宙を知らない、とか、幽霊を否定することが出来るほど人間の精神を証明されていない、とか言ってオカルト話には割と首を突っ込む現実的な男だ。
 現実的なのは肯定の方法であって、“否定の要素が無いから、暫定的に肯定する”なんて平気で言う奴だ、ということだ。
「そ、ホラー。実は国内最高齢のじい様に、そのことを伝えに言った役所の職員がいたんだけどな。そいつらが、そこで死体に出くわしちゃったんだよ」
「ほほぉ。最高齢?この国の?百十ん歳だね?」
 これくらいは普通の発言だが、次の言葉が奴の悪いところだ。
「最近流行の孤独死って奴かい?」
 楽しそうな声。こいつが不謹慎なのは仕様だ。
 俺も人のことは言えないが、2人揃って、老人の死には興味が無いのだ。だから、俺も奴の不謹慎発言を咎めない。そんな必要性すら感じない。
「いんや。首が一刀両断されていた。首は15メートル離れた廃車のトランクの中」
「あん?」
 意外だ、と言いたげなリアクションが返って来る。
「しかも、その車の運転席には、じい様よりはずっと若い白骨死体が1つ」
「なんだそれ?」
 剣呑な声が聞こえる。
「食いついたね?」
「続きは?」
 真剣に訊いてくる。気になるらしい。
「遺体は20年前の物で、車のナンバーは30年前に盗まれた物」
「両方とも同時期に死亡?」
 死体の話に戻る。
「そそ。死んで20年間ほったらかしだったということだね」
「なんで20年間死体が見付からなかったの?」
 そこだよね。やっぱり。こういう男と話をするのは割と楽しい。無駄が無いからだ。
「その集落は実質的に廃村だったんだよ」
「住民はゼロ?」
「実質ゼロ。全員死んだか、役に立たないかのどっちか」
「ボケたって言えばいいのに。役立たずって酷い言いようだな」
 受話器の向こうで、薄笑いが聞こえる。
「笑いながら言う台詞じゃないよ、お兄さん」
「お互い様」
 不謹慎なことこの上ないね、お互い。
「凶器は?」
 刑事のように順当な手順で質問をする友人。
「刃渡り60センチほどの刃物、と思われる」
「思われる?発見されていないの?」
「老人の遺体の脇に柄だけが落ちていた。刃は朽ちてなくなっていた。けどね、この刃も変なんだよねぇ」
「変って?」
「これ練成や圧延が最近の物なんだよね。殺害当時の20年前だと、間違いなく最新式だね」
 当時はほとんど出回っていない商品だ。
「あらあら」
「オーパーツだらけだろ?」
 話しているこっちが怖くなってくる。存在しないはずの物が、揃いも揃ってリンクする事件だ。
「だねえ」
 だが、奴は妙に楽しそうだった。こっちは話が訳の分からない方向に走っていくから、虫酸が走る思いだというのに。続きだって話すのは憚られるし…。
「若い方がじじいを殺したんじゃないのか?」
「そうとは言えないんだよね」
「なんで?」
「車は、じじいの自宅の傍にある崖から滑り落ちたみたいでね」
「妙だね。…わざわざ自分の車のトランクに、殺した相手の首を入れるのもおかしいか」
「そそ」
「車の死体の死因は?」
「分からん」
「おお。世界最先端の検死技術でも分からんか」
 大げさな友人のぼやき。本気で言ってないのは分かるが、なんとなく部外者に指摘されるのはムカつく。
「分かるわけがないだろう。20年前の死体だぞ」
「せいぜい、ほねかわすじえもんか?」
 骨と皮と筋だけという意味の親父ギャグのようだ。
「今のは伯母さんのギャグだぞ」
 こっちの内心を見透かしたのか、どうでもいいことを教えてくれる。
「例のお兄さんの母親の方のか?」
「そうだよ。いかれた還暦だろ?」
「それを使うお兄さんもね」
 受話器越しで高笑いが聞こえる。本人曰く、父親に似ている高笑いらしく、気にしているが、奴は父親のことが苦手であっても、一男としては敬意に値すると言っていたので微妙な感覚だろう。
 そういえば、大学をやめた理由の一つは、親父と同じ大学に行ったのに、親父と同等以上の脳みそを持っている奴があまりにも少なかったことに絶望したからだ、とも言っていた。
 俺の親父はどうしようも無い奴だったが、奴の親父はそれなりの甲斐性を持っているらしい。
「それで、どこがホラーなの?」
「ホラー?ああ、そうね。そのじじいなんだけどね、目撃されてるんだよ」
 さあ、聞いて驚けとばかりに勢い込んで答えた。
 だが、奴は妙に冷めてた。
「目撃?いつ?どこで?」
「7年前。都内で」
 いらえが無い。
「どうした?」
 返事が無い。
 あまりにも常軌を逸した事件のあらましに、恐れをなしたのだろうか。そんなに神経の細い男だっただろうか。
 この一言を聞いた時は、俺も総毛立った。幽霊の出現なんてあってはいけないことだ。この21世紀に。
 だが、受話器の向こうからは、ごそごそと何かの音がするだけだ。ごそごそがしばらく続き、最後にカチッと何かが鳴った。
「ごめんね。充電器に接続してた」
 なるほど、携帯電話の電池がなくなったのだろう。というよりも小まめに充電しておけよ、と言いたいが、最近仕事もしないで一日中家の中で勉強しているせいか、毎回充電池を使い切るのが習慣なんだそうだ。次に携帯電話の機種変更をする時は、予備の充電池も追加するに違いない。
「で?7年前に目撃されたのね?なんの会合?」
「同窓会…、みたいな奴かな?」
「同窓会?嘘付け。百十何歳の同窓会なんてあるわけねえだろ。残りはくたばっているはずだろ?」
 いい加減な返事だと、すぐ見抜くのが奴だ。そのくせに、ドラマのサスペンスとかは真面目にストーリーの流れに身を任せるのが面白い。
 ドラマや小説で奴が見るのは、文章表現力や俳優の演技、演出の仕方などを見るのがせいぜいで、謎解きとかには興味を持たない。だから、ストーリーに全力で身を任せるらしい。隣で誰かが謎解きをしようものなら、平気でチャンネルを変えたり、不機嫌になったりする。サスペンス好きの女の子とは付き合えない性格だ。
 そんなことはどうでもいいな。話に戻ろう。
「旧陸軍の引き揚げ部隊の同志会みたいなものかな?」
「最初からそう言え」
 それは失礼。こいつは俺には容赦が無い。理由は、肉体的にも精神的にも“難攻不落”だから、だそうだ。ちなみに、俺には“音速のハードパンチャー”という渾名もある。
「で、7年前ということは、戦後55年か?」
 62年前、この国は戦争に敗れた。7年前とは、ちょうど戦後55年だ。
「そうだよ。それにじじいは出席しているんだよ」
「ふうん。やばいね」
「全然驚かないのね?」
 俺はそれを聞いた時、背筋に悪寒が走ったというのに、この男はまるで何も感じないのか。
「まあね。で?本人だって確認できたの?」
 偉そうな態度だ。
 そういえば奴の彼女は、奴のことをよく“ツンデレ”と表現する。元々は女性に対する表現なのだが、確かにこの男にはそういうところがある。奴の思考だと、確認出来ないことをいちいち言うはずが無いと、こちらに対して睨みを付けているのだろう。分かってて言っているのだから、嫌な奴といえば嫌な奴だ。
「確認出来たよ。戦前の軍の身分証明写真と55年会の集合写真に映っているじじいの、耳の位置や鼻の位置を分析したら、ほぼ間違いなく同一人物」
「へえ。凄いね。親戚に都内まで連れてきて貰ったのか?」
 普通に感心している。どうでもいいじじいは相手にしないが、自分の能力ギリギリの行動をしっかり取るじい様には、きちんと敬意を払う男だ。
 だが、その敬意が霧散しかねない状況なのだ。
「残念。じじいの親類縁者は20年前前後に全滅している」
「あら。じゃ、1人で来たの?」
 意外そうに聞き返す。さすがに百十ん歳では、それは難しいと感じたのか。だが、それは公共機関を使っての話だ。
「そう。廃村からね」
「1人で?百十ん歳が?」
 まるで信じられない、とばかりに大きな声だ。
「無理だよね?」
「無理だよ」
 俺はさらに付け加える。
「しかも、五体不満足なんだよね」
「なんだと?」
 奴の声が裏返った。
 ううむ。こいつは、随分感情表現豊かだな。聞いているだけで面白い。
「戦傷でね、右腕と右足が無いんだよ」
「をいをい」
「さらに、村に向かう唯一の橋は10年前に落ちてて、じじいは山越えをしたことになるんだよね」
「左腕と左足だけで?」
 これは困難な移動ではない。既に不可能の域だ。百歳を優に超えた老人が、介添えもなく、公共機関も使わずに山越えを敢行するのは、仙人か妖怪のどちらかの話だ。
 どちらも似たようなものだが。 
「ほうら、ホラーだろ?」
 声にビブラートをかけてみた。これが通じる奴とは思えないが。
「いや、もう、ホラーなんてもんじゃすまないけど…」
 珍しく対応に困っている様子に、少し気分がよくなる。でも、ビブラートの影響ではないらしい。こちらの驚きを少しでも味わうがいい。
「つまり、20年前に死んだはずの人間が7年前に目撃されていると?しかも、山越えをした恐れがあると?」
 どうやら、まだ粘る気まんまんらしい。奴は情報をまとめようとしている。
 むむ。つまらない男だ。もう少し怯えが欲しいのだが、致し方あるまい。
「そういうこと」
「お金の流れは?」
 いきなりだ。一体、どういう思考の転換だ。
「なんで?」
「いや、基本だろ?」
 それは、刑事ならそうだろうけど…。
「そういう意味じゃなくて、なんで話が飛んだんだ?」
「いや、詰まった時は視点を変えてみろってね」
 つまり、仕切り直しをすべきだということか。確かに悪い方法ではない。
 こいつは今、人生の仕切り直し中なのだろうか。ふと、そんなことを思いながら捜査資料を読み返す。
「じじいの口座には、毎月家賃が振り込まれ、光熱費が自動引落されている」
「実質、金の流れは無いのね?じじいは資産家なのか?」
 いつの間にか、老人の通称が“じじい”になっているのはご愛嬌だ。
「そうだよ」
「じゃ、高飛びしているとは思えないんだね?」
「高飛び?」
 なんで高飛びなんて関係あるんだ?
 俺の反応なんて無視して、奴は続けた。
「本当に全く金が流れていないの?って言っても、銀行にある預金データは20年分も無いか…。でも、じじいが生きていなかったことは証明されたんじゃないの?」
「確かにね。全く金が動いていないからね。ただ、一つを除いて」
「一つ?」
「55年会の直前、引き落とされているんだよ」
「ほほお。いくらくらい?」
 感心してもいないのに、感心した様子を見せる奴。
「ちょうど、交通費と宿泊費くらいだね」
「それは、本当にじじいが引き落としたの?」
「ほぼ、間違いないね。その時の伝票が郵便局に残っていてね」
「素晴らしい」
 急に声音が明るくなる。
「社会保険庁よりもよっぽど仕事をしているじゃないか。公務員の鑑だよ。でも、すぐに民間になるんだったな」
 不謹慎発言は放って置く。
「筆跡を鑑定したところ、筆跡は55年会の名簿…、えと、なんていうんだっけ?葬式とかにある奴」
 我ながら酷い表現だ。
「ああ、芳名録ね」
 さすが、お兄さん。葬式の経験値が高い。
「葬式じゃないぞ。剣道部だぞ」
「あ、そっちか」
 一応、自分の不名誉を恥じるくらいの気概はあるようだ。世間の価値観からは遠のいているくせに、こういうことには意外とうるさい。
「そっちだ。で?55年会の芳名録の筆跡と郵便局の筆跡が一致したんだな?」
「ああ、一致した」
「ふむ。横取りの可能性もあるけど…。それって、本人の筆跡と同じなの?」
 こいつは刑事か。刑事みたいな思考に、俺は少し驚いた。
「それはなんとも言えないね。戦前の筆跡とは全く違うけど、じじいは右手が無いからね」
「なるほど。右利きだったらなんとも言えないか…」
 左利きだったら今も同じ筆跡だろう。だが、戦前の人間には左利きの人間は少ない。
「そういうこと」
 さて、次のネタに進むか、と思いかけた時、突然奴が口を開いた。
「ところで、今気付いたんだけど…」
「なんだ?」
「55年って中途半端だよね。2年前も会合はあったの?」
 60年会。55年会があったのならば、当然60年会がある。55年会が7年前なら、60年会は2年前だ。
 無駄によく回る頭だな、と思いつつも言葉を繋げた。
「うん。あったよ」
「じじいは出席したの?」
 相変わらず細かいことに気付く奴だ。
「芳名録に名前が残っていた」
「ほぉ…。筆跡は?」
「戦前の物と一致していた?」
「は?」
 酷く裏返った声だ。今頃、氷漬けの標本みたいに固まっている事だろう。少し頬が緩んだ。
「困っただろう?」
「ああ。困った。写真は?」
 まだ粘るらしい。一度やられてくらいではへこたれないのが、この男の凄いところだ。すぐに切り返して来る。
「写真は無い」
「そうか」
 さすがにここまでの状況を提示されたら、誰でも困る。
 俺だって、本当はこの事件の担当じゃない。正答率1パーセントの某ゲームの結末を見抜いた、数少ない正答者だったからこの事件を回されたのだ。そういう特記事項の無い奴には難しい事件だったはずだ。
「ところでさ…」
 だが、受話器の向こうの男は、何故かまだ諦めていないようだった。
「は?」
「55年会で写真に映っていた人達ってどういう関係?」
「あ?」
 確かに、順当な感覚だな。だが、俺はその件は頭の隅に追いやっていた。
 慌てて、そばに置いてあった資料に手を伸ばして捲る。
 杖をついた黒縁の眼鏡をかけた、右手と右足を失っていながら当年百十何歳には到底見えないくらいしっかりした老人を中心に、6人の比較的若い老人が囲んでいる写真だ。55年会を開催したホテルの会場のものだ。
 遺体で発見されたはずの老人以外には6名。背丈も年齢もまちまちだ。
「召集された部隊だから、年齢もまちまちなんでしょ?」
「まあ、そうだけど。全部で6人。同じ連隊の中隊長と、じじいの分隊の部下4人」
「そいつら生きてる?」
 何故分かったのだろうか。
「1人を除いて5人は死んでいるよ」
「死因は?」
 俺は書類を見直した。
 これは驚いた。怪しさ満点の情報ではないか。関係者を調べれば、みな高齢なのだから死者が多いの当然だ。
 だが、写真に写った人間の死因は、並べてみると明らかにおかしな光景を描いている。
「1人は心臓発作。残り4人は交通事故」
「めっちゃ怪しいじゃん。死んだのはいつ?」
 うわぁ…。冗談で電話しただけなのに、何か見つけそうだよ、このぷ〜太郎。という内心の叫びを押し殺し、俺はなんとか話を続けた。
「去年の1月と、一昨年の11月、12月だよ」
「つまり、60年会の直後に集中しているんだね?死んだじじいどもは60年会に出席していた?」
「してた」
「そいつらの写真は?」
「無い」
 急激に何かに迫っているのが分かった。20年前に殺害されたはずのじじいが蘇り、かつての仲間だった老人達を次々と殺戮したのか。
 だが、友人の関心は既に別のところに向かっていた。
「ところでさ…」
「なんだい?」
「その連隊ってどんな任務をこなしていたの?」
 なんだ?何を聞いているんだ?
 目的は分からないが答えてみた。
「汚い仕事だね」
「ふむ。どんな?」
「お兄さん、フリーメーソンとか知っている?」
「んにゃ?」
 猫みたいな反応は、彼女のそれが伝染った物だ。よくも悪くも仲のいいカップルである。ツッコミとボケ。天然と理路整然。まるで夫婦漫才。
 だが、こんな奴でもフリーメーソンを知らないことはあるのだな、と納得して説明することにした。
「あるいはルール・オブ・エンゲージだっけ?」
「ああ、the Rules of Engagementね?」
 そうそう。交戦規定とかいうやつだ。しかし、こいつはRの発音が異様に巧い。帰国子女だからだが、本人の容貌は至って標準的な日本人だ。背丈に関しては標準以下だ。
「相変わらずの発音だな」
「そりゃどうも。それが使える仕事に早く就かないとね」
 そうだ。彼女のためにもな。
「さて、そのROEだが、もちろん一般民の避難はしないといけないな?」
「そうだね。そういう条文が米軍の物の中にはあるよ」
 優秀な兵士ならそれを守る。しかし、それを守らなければいけないから、最近の敵は一般市民の中に兵士を紛れ込ませたりする行為を平気で行なう。いわゆるテロリストだ。非人道的なことをして貰うために紛れ込んでいるくせに、一般市民ごとテロリストを薙ぎ払うと非難轟々だ。
 しかし、じじいの所属部隊は正規軍でありながら、そのあり方は限りなくテロリトに近かった。
「それを無視するのが、例の連隊の仕事だった」
「つまり、一般市民を虐殺して敵勢力に心理的な影響を及ぼすという奴か?じゃ、虐殺や強姦は当たり前だな。赤軍みたいなことやってたのか?」
 赤軍は、まともな訓練を受けていない兵士を次から次へと戦線に送り込み、自軍の死体を踏み固めるように戦車部隊で前進した軍隊だ。もし、前線の兵士が逃げようものなら後方の政治士官が逃亡兵を軍事法廷なしで射殺する恐怖体制だ。しかも、捕虜の扱いは劣悪を極め、完全な国際違法をしていた。
 戦後、政治やら国際情勢やらで敗戦国となった欧州の旧帝国は、非人道的な民族殺戮を行なったと非難されているが、それは一部の急進的な連中の仕業であり、普通の正規軍兵士は極めて民主的で、模範的な戦士の戦いをしていた。
 本来なら赤軍は多くの国に賠償しなければいけない。だが、国際情勢がそれを赦さなかった。
 だから、友人は赤軍とその後に出来た新帝国も毛嫌いしている。
「お兄さんは本当に赤軍が嫌いだね?」
 程度の低い思想団体というのが、奴の嫌いな存在だ。
 嫌いな存在は、人様の迷惑にならない程度まで粉砕するのも、奴の趣味だった。仕事で言えば、嫌いな仕事をする奴がいれば、徹底的に責め、しごき、同時に言葉巧みに操り、最終的に自分の支配下に置くのである。
 不思議なことに、赤軍を嫌い、嫌いなものは嫌いというくせに、奴は人間そのものは嫌わない。嫌いな人は?という質問に、無駄な質問だ、と答える男である。
「ああ、嫌いだ。連中はクソだ」
 こういうとき、奴は“連中という人達”が嫌いなのではなく、“連中という組織”が嫌っているのだ。
「ところで、殺されたじじいはどんな軍人だったの?」
 おっとそっちに移ったか。俺は奴の思想を色々と思い出していて、話の本筋を忘れていた。
「じじいは、元々陸軍の優秀な教官だったようだ。最終階級は上級曹長。終戦間近に前線のジャングルに送られたみたいだね」
「満を持してって奴?」
「そそ。俺の苦手な剣術も持っているみたいだね。陛下から二振りの刀を賜っているほどだ」
「マジ?やばいね。そんなのとお前ぶつかるの?」
 なんだ?こいつは何を言ったんだ?
「お兄さん。何言っているの?」
「ああ。だからね、死んだじじいは偽物じゃないかって話だよ」
「は?」
 このお兄さんが俺よりも突飛なことを言うなんて、とんでもないことじゃないか。
 確かに、過去には半島からミサイルが飛んで来るのを前日に“間違えて”予言したり、先代陛下の侍従長のメモを予告するようなことサイトの日記に書いたり、この国に劣化ウラン弾が配備されていることを僅かな報道のデータから予測したり、某国の銃器メーカーの一般には公開されていない最上級ブランドの名前を10年以上前に言い当てたり、とんでもないことを数多くしてきたが、今回もとんでもないことを発見してくれたようだ。
「その曹長さんて、いい人でしょ?」
 奴は言った。本当に、僅かな言葉から色々と想像して正体を突き止めるのが得意な男だ。“節度ある妄想癖”の面目躍如といったところだろうか。
「ああ、人格者だったみたいだね。なんで?」
 俺は、奴の話の続きが聞きたくなった。
「だって、陛下から刀を賜るような人間が、しかも下士官がアホなはずが無い。そこは国家の威信をかけてね」
 国家の威信。政治と金の不信やら何やらが騒がれるような時代だが、威信という感覚は今も昔も存在する。今では、威信もどこか歪んでいるが。
 むしろ、帝国時代の方がまともな思考をしていたかもしれない。変な憲法と似非社会主義者達のせいで歪められているのは間違いない。これは奴の受け売りだ。こういう発想力は俺には無い。あっても口には決してしないが。
「国家の威信ね?」
 だから、適当に相槌を打つのだが、すぐに窘められてしまう。
「をいをい。高度成長のくだらないマスプロダクト(大量生産品)なんてのは威信じゃないぞ。戦前の建築の方が面白いだろ?あの頃は、企業や国が威信をかけて最高の建築を建てていたからだ。だけど、戦後は誰でも建物を建てられるようになったから、くだらなくてどうしようもないゴミみたいな建物が乱立して、この国の繁華街はどこもかしこも汚く薄汚れているんだ」
 まさか、まるで門外の人間が建築哲学を論じるとは。
「で?それと事件と関係あるのか?」
「例えばさ、例の遺体だけどさ…」
 どうやら、全く関係なかったらしい。
「なんだい?」
「本当に曹長の遺体なの?」
「なに?」
 思わず死体検案書に目を走らせる。証拠をピックアップする。
「間違いないよ。歯医者の治療記録とも照合したし…」
「それって、戦後の情報でしょ?」
 背筋が冷たくなった。8月も終わりだというのに、冷や水をかけられたように目が覚めた。
「もしかして…」
「違う?だって、顔写真を照合したのは戦前の写真でしょ?でも、遺体を照合したのは戦後の治療痕でしょ?戦争の前後でデータが入れ替わるなんてのは、よくある話なんじゃないの?」
 あるといえば、ある。戦中戦後の混乱や、空襲で焼けたなどの被害で戦前の個人を特定するデータは正確ではないことが多い。だから、帰還兵として登録された人物が、本当は別の兵士だということが無いとは言い切れない。
 だが、珍しい事例であるには違いない。
 まさか、それがこの事件で起きているのか?
「つまりだよ。戦争中に入れ替わったんじゃないか?人望の厚い曹長殿と、Fu○ offな外道兵士が」
 毎度のことながら、こいつの口は悪い。
 だが、最高のヒントだ。20年前に殺されたのは、60年以上前の戦争で本物の優秀な兵士と入れ替わった極悪非道部隊の兵士。そして、遅れて本物の兵士がこの国に帰還した。
 だが、その立ち位置は既に大きく変わっていた、ということか。
 それなら、話に筋が見えてくる。
 俺は色々な情報を次々と与え、友人が“入れ替わり説”と照らし合わせて理論付けていく。そのお陰で、多くの謎が氷解し、事件の全貌がほぼ顕わになった。思わぬ大収穫だ。
「ただ…」
 既に本物のじじいを見つけ、倒すことを考えていた俺は、妙に沈んだ友人の声で我に返った。
 通話の最後に奴が口にした言葉。
 それは、じじいへの伝言にしておこうと思った。

 俺がことの顛末を教えてやっている間、黒縁の眼鏡をかけた老人は、古びたレンズの向こうからこちらを睨み続けていた。頭髪は白くなり禿げ上がり、痩せて頬がこけほとんど骸骨のようだ。右肘から下と右膝から下が無いはずだが、くすんだ灰色のジャケットの袖とスラックスで見えない。ただ、袖からは長い杖が伸びている。
 残った脚と腕だが、ここはとても御年百十数歳とはとても思えないほどに、細くしなやかだ。もう1人の老人を地面に押さえ付けている姿からも、この60年一日たりとも鍛錬を怠らなかったのが一目で分かる。
 それに他者を睨み付ける眼光は、平気でケプラーの防弾チョッキを貫通しそうだ。只者じゃない。
 面白い。本当に友人の言うとおりなら、この老人はとてつもない超人だ。それだけで敬意を以って全力で粉砕したくなる。
「これは貴様の復讐だな?」
 俺の問いに、老人は小さく嗤った。まるで虫が鳴くような乾いた音がした。
 背後で上司の気配が強張る。生理的に受け付けない笑い声だったようだ。似たような人種のくせに。
 乾いた音のまま、老人は問い返してきた。
「そんな簡単な言葉にしてしまうのか?」
「俺の悪友は、そういうことであればいいと願っている」
 我が友人ながら羨ましいことだ。出来れば、この事件が正当な復讐であればと願っていた。その復讐に何人かの若者が共感し、手伝っているのだと思いたかったようだ。
 俺にはそんな希望は持てない。確かに、世の中には義を重んじる人種がいる。だが、義を用いて利を得る人間が世の中のほとんどを占めているのが現状だ。
 この目の前の老人は、俺にとっては後者だ。
 友人もそれは分かっているはずだ。分かっているはずだが、そうでは無い方だと願ってしまう。なんだかんだ言っても、“普通のこの国の住人”なんだ。
 俺とは違う。
「そうか。そういう願いは…」
「だが、俺は違う」
 老人の嗤った声を遮り、俺は断言した。
 俺は、この連中に鉄槌を下すためにここに来たのだ。そのためには容疑を告げなければいけない。
「あんたは、戦争末期前線に出て数多くの地元民兵を組織した。優秀な教官として、前線指揮官としてあんたは素晴らしい戦果を残した。残念ながら、あんたらを有効に活用する戦略を持っていない国家のせいで評価はされなかったが、今見てもあんたの有能さは一目瞭然だ」
 老人の左右に居並ぶ6人の戦士達が、その証明だ。いずれ劣らぬ有能な兵士達だ。30年前にこの国に来たときは、警察は誰も相手にならなかっただろう。
「だが、完全無欠の兵士は往々にして嫌われるものだ」
 老人が俺をひと睨みした。どうやら、自ら語りたいようだ。自らの悲壮な過去を。
「私が彼らの所業を見た時、私は自分の中に得体の知れない物が湧き上がるのを感じた。我々の任務は、祖国を守るために前線を構築し、多くの周辺国とともに共栄を果たすことだったはずだ。だが、彼らの目的はそんなことではなかった」
「略奪、虐待、強姦。あんたの連隊はそういうことをするために編成された。だが、あんただけは分かっていた。そんな攻撃は敵の敵意を煽るだけだと」
「だから、私は彼らを止めなければいけなかったのだ」
 張りのある声音が、老人の身体から発せられた。秋が深まり、冷たくなり始めた夜の冷気を切り裂くようだ。
「それがあの遺体の持ち主だな?」
「君の友人は優秀だな」
 それは老人の肯定だった。
「ただの変人だ。能力の使い方をいつも間違えている」
 いつかは同じ結論に、俺も辿り着く事が出来ただろう。だが、これほど早く追い詰めることは出来なかっただろう。その点で言えば、本当に能力の無駄遣いだ。
「あんたは、あの遺体の持ち主の右腕と右脚を斬り捨てた。戦地の住民に横暴を振るっていた咎でな。どこの軍隊にも起きることだ。困ったのは、貴様の小隊には戦死者が多すぎて本名は分からないが」
「ふん。戦死者か」
 老人が鼻を鳴らした。
「予想通りか?」
 俺は笑いながら問うた。
「なんだい?」
 にやけた笑みを老人は浮かべる。獰猛な野獣が、舌なめずりするかのような笑みだ。
 俺は呆れつつも、友人の願いが完全に無視されたのを感じた。
「確かに、あんたは人望のある正義感に溢れた優秀な戦士だったようだ。あんたは奴らの横暴を制止する為に、味方を虐殺したんだろう?」
 だから、戦死者が異様に多いのだ。戦地に赴いてからの日数と戦死者が全く比例していない。
「へぇ。味方をねぇ」
 それまで黙っていた上司が、興味の無さそうな声を、俺の背後で上げた。
「若い君には分からないことだろうがね?戦場では往々としてそういうこともあるのだよ」
 老人が上司に向かって嗤った。それは既に有能な、人望の厚い、正義感に溢れた兵士の笑いではない。既に友人のような“常識”の世界に生きていない人間の嗤いだ。
 しかし残念なのは、俺の上司はその程度では全く動揺しないことだろう。
「だから?」
 1歳年下の上司は、何の迷い無く切り返した。
「最近の若者は、態度が悪いな。こんな豊かな国に住むと、そうなってしまうのかね?」
 若い世代の態度を、豊かさのせいにするのはこの国の老人の悪い癖だ。俺達が、自分達老人の背中を見て育ったということを認識できないのだ。そういう意味ではこの老人は“常識的な”人間だ。
 俺は、それが気に食わなかった。
 彼女は、そういうことを理解して言い放つだろう。
「くだらない」
 見事な斬り捨て方だ。
「貴様はただ能力が足りなかっただけだ。私なら部隊を掌握する。そして、私の正義を貫く。貴様はそれが出来なかったが、私には出来る。それだけだ」
 いいねえ。かっこいいよ、我らが“ちぃBOSS”。
 ちなみに、ちぃBOSSの渾名を付けたのは友人だ。見事なネーミングセンスに舌を巻いた。素晴らしい口上と、高い生存能力は某ゲームの敵ボスに匹敵しながら、かなりちっこい姿形はちぃBOSSと呼ぶに相応しい。
 だが、言いたくは無いが言わせて貰う。
「隊長。後ろに隠れていないで前に出て言いませんか、そういうことは」
「私は人見知りなんです」
 素っ気なく言い捨てる、我らがちぃBOSS。これが彼女の彼女足る所以だ。
 面食らったのか、老人は口を噤んでいた。
 既に上司も老人もやる気のようだから、ここいらで推理ごっこは終わりにしよう。
「さて…」
「何かね?」
 俺の仕切りなおしに対して、心なしか不機嫌な老人の声。ちぃBOSSの言葉が少し癇に障ったようだ。
 いい按排だ。
「本題に入りたい。俺は貴様らを制圧しに来た」
「まるで軍人のような口ぶりだな?して、罪状は?殺人かね?それとも銃刀法違反かい?」
 常識的なことを聞いてきたことに、俺はまた不機嫌になった。
「そんな湿気た罪状じゃない」
「なんだと?」
 このじじいは常識的な思考しか持っていないらしい。
 我が友人はお人好しだ。優秀な教官。それは戦士として、人間として優秀な男だ。だから、このじじいが善人として犯罪に携わったと思いたかったようだ。
 残念ながら、こいつらはただの殺人鬼だ。犯罪者だ。否定の余地は無い。
「貴様らは、本国からの麻薬の密輸ルートを構築するために30年前にこの国に潜伏を開始した。例の殺人現場にあった乗用車は、その頃に盗難した物だな?普通は、すぐに廃車手続きがされるから、ある程度時間が経ったらナンバープレートを交換しなくても問題なく走行できる。10年ほど潜伏していたある日、貴様の名前を名乗る入れ替わりのじじいに遭遇した。そして、貴様は配下の連中に命じて奴を殺害した」
「ああ」
 その発声は、愉しげなことを思い出す人間のそれだった。
「その時、理解したからな。私の娘も息子も、妻さえも奴に殺されたことを」
「だから、処刑したんだな」
 友人の推理をさらに追加してみる。
「処刑?どういうことかね?」
「被害者は居間の座布団に座った状態から無理矢理引き起こされ、正座し俯かされた状態で頸部を斬り落とされた。これは処刑という」
 あるいは介錯。切腹の最期の瞬間だ。
「何故わざわざそんなことをしたと?」
 老人は意外だと言いたげだ。
「座布団の下に、先端が挟まれるように左足の靴下が残っていた。そこから移動させられたことは明白だ」
「ほう?だから?被害者が逃げようとしたんじゃないのか?」
「右脚が無いのにか?」
 自分で切り落としておいて、白々しい態度だな。
「窮鼠猫を噛む。いざというときは何をするか分からない物だぞ」
 そんなことは、この事件の本質とは関係無い。
「だからどうした?俺の友人が言うには、人を移動させてから殺す際には明白な殺害の意志があるはずだそうだ。特に、ほぼ無抵抗の人間を殺す場合にはね。この場合がそれに当たる。そして、殺害者の中に確固たる正義がある場合は特に顕著だそうだ」
 全く、あいつはどうしてこういう知識を持っているのだろうか。
「だから、処刑と?」
「そうだ。そして、その言葉で気付いた。あの遺体はある方向を向いていた。その方向には…」
「皇宮だ。そこまで分かるとは、その友人とやらも始末しなければいけないな」
 じじいはまた嗤った。機敏に反応する部下達。臨戦態勢から戦闘態勢に入ったようだ。
 俺は思わず笑ってしまった。
「ほう。俺を倒すと?」
「ああ、その通りだ。ついでに全部教えてやろう。ナカモトを殺したのは、ほんの思いつきで実家を見たかったからだ」
「へぇ、ナカモトって言うんだ」
 後ろで興味が無さそうに上司がぼやく。
「そこで自分に成り代わり、暴利を貪っている連中を見付けた。そして、殺したということだな?」
 じじいの声を遮るように俺が言うと、じじいは口を閉ざした。機先を制するのはどちらか分かっていないようだ。これだから常識的な人間はつまらない。
「近くにあった年若い死体は、奴の息子か?ナカモト氏殺害の現場を目撃したから殺害したんだな?実に優秀な部下達だな。ナカモト氏の首をわざわざデリバリーしたのは何かの儀式かな?」
 じじいが、自らの手で殺人を犯したとは考えにくい。必ず、この戦士達のどれかが一緒に活動していたはずだ。車のトランクに入っていた首も何某かの暗示だろうが、残念ながら俺も友人もそんな知識は無かったし、じじいも何も言わなかった。
「しばらくは潜伏するつもりだったのだろうが、戦後55年の会合があると分かった。殺害の13年後、貴様はナカモトに化けて、会合に参加した。普通に考えれば、腕と足を失った人間に化けることは出来るはずがなかった」
「やられたのか?」
 上司が言いにくい事をずけずけと言う。
「よけいなこと言うなよ」
 思わずぼやいてしまう。もう少し上司には言葉を巧く包んで欲しい物だ。
「悪かったな。本当のことだろう?」
 少しも悪いと思わないのが彼女だ。
「ああ、その通りだ。戦中、仕返しと称して、この男も右腕と右脚を失った。“優秀な虐殺部隊”を殲滅された報復というわけだ。同じ中隊の仲間によってね」
 当然、そのまま密林に打ち捨てられる。
「そこで地元住民に拾われたのか?」
 上司にも続きが読めたようだ。
「今度は、麻薬シンジケートの長として地元を組織し、先遣隊としてこの国に潜入。今に至るというわけだな」
 さすが、この仕事を長くやっていると彼女もこういう思考が出来るようになる。最初の頃はどうなるかと思ったが、ここまで育ってくれて“お兄ちゃん”は嬉しいぞ。そんなことは本人には決して言わないが。
「ああ。20年前に猛威を振るっていたシンジケートの他の枝は、度重なる先人達との闘いで壊滅させたが、本命が残っていたというわけだ」
「ふうん」
 どうやら、ちぃBOSSの興味はここまでのようだ。
 だが、俺は知っている。ここまで知れば、彼女は動くと。
「さて、俺には分からないことがあった。55年会で、貴様が郵便貯金を引き出した理由だ。それでも、俺の友人は分かった。貴様は、思ったのだろう?55年も経ったのだ。だから、悪行の限りを尽くしていた奴らも、もうまともな暮らしに戻っている。まともな人種になっていると…。だから、不幸は水に流して、ただ会を楽しみたいと」
 老人は黙って俺を睨んでいた。
 それだけだ。部下、いや息子とも呼べる戦士達に、俺に襲い掛かる命令さえ下さず、じっと俺の、いや、俺が代わりに語っている奴の言葉を聞いていた。
「願いは叶わなかった。いや、そんな常識的な願いが叶うはずがなかった。奴らは常識じゃなかったんだから」
 俺は常識ではない。人類は人類を殺すようには出来ていない。98パーセントの人間は殺人を犯すと何らかの精神的外傷を負うという。そういう人間は他所に理由を求め、それに寄りかかることで精神的な苦痛を和らげているらしい。
 だが、残りの人間は自分の中で理由を見つけ他者を傷付けることが出来る。それは非常識だということだ。
 一般市民を殺戮した連隊は、非常識だということだ。
「典型的な例だ。腐った奴は、いつまで経っても腐っている。あの連中は戦後処理のドサクサに紛れ、多くの富を手にした。さらに、会合では貴様のことを散々に罵った。鬼だけに、俺達は鬼退治をしたんだ、くらいのことは言っただろう。鬼畜がそんな言葉を吐いていることに、貴様はいい加減激昂した。違うか?」
 俺の言葉に被さるように背後からの声。
「単純な奴だ。名乗り出ればいいものを」
 ちぃBOSSはわざと挑発している。麻薬に携わっている以上、そんなことが出来るはずがない。入国記録が無いのだから、不法入国にもなるのだから。
 だから、殺すしかなかったのだと、俺の友人は結論付けた。
 しかし、上司の発言には困る。俺のことを信頼してくれるのはいいが、この数を相手にするのはとても大変だ。出来る限り静観していて貰いたいのだが。
「そして、元同僚達の暗殺を開始した。見事な手際だ。4人を交通事故死に見せかけ、1人を心臓麻痺で殺した。優秀だな。貴様の犬達は」
 じじいの部下達も非常識だ。
「私が指示したという根拠は?」
「60年会の芳名録さ。郵便貯金を引き出す時も、55年会の芳名録も、貴様の署名は戦前の貴様自身の物とは似ても似つかない物だった。だが、60年会の物はそうではなかった。それは、かつての貴様と酷似した筆跡だった」
「貴様の友人は想像力豊かだな」
「いや。貴様の行動が推理小説に酷似していたからだよ」
 老人が、機械じみた乾いた笑い声を上げた。
「そうだ。あれは、私の宣戦布告だった」
 友人が言ったのと全く同じ台詞だった。混乱する俺を冷静にさせてくれた言葉だった。
 55年会は、本当に楽しみにして参加したのだ。
 だが、奴は自分を貶めた連中の正体を知った。連中の息の根を止めるために、再び現れた。おそらく犯行計画は綿密に出来上がっていたのだろう。
 60年会の芳名録に、本当の署名をし、宣戦布告をする。あとは、部下が自動的に敵を排除する。
 だが、それは本当に復讐だけか?おそらく30年前にこの国に来た時とは、戦力が入れ替わっているはずだ。本国で養成された若い戦士達に。
 俺の思考に関係なく、老人は嬉しそうに笑いながら言った。
「私を踏み台にして、生き恥を晒している奴らを殺さなければならない。あと、1人で完結する。それで赦しては貰えないか?」
 老人の足元に押さえ付けられた老人のことだ。
 老人である元曹長の上官、連隊における極悪非道の根源だった中隊長だ。この男のせいで、部下が大勢死に至り、関係無い民間人が犠牲になり、気の弱い小隊長は心身衰弱に陥り、この老人は麻薬組織のボスに転落した。
 だが、そんな60年以上も前の犯罪を罰することは出来ない。
 だから、老人はせめてこの男だけでも殺させろと言っているのだ。
「残念だったな」
 俺の言葉に、老人の部下達が殺気立つのが分かった。この老人を心底慕っているのだろう。
「俺の友人なら少しは同情しただろう」
 貧しい故郷のために、麻薬に手を付けるしかなかったのは分かっている。
 だが、そこから抜け出すために何か努力をしたか?それだけの力と統率力があったのなら、何かを起こせたはずだ。農村からだって、政治を手に入れることが出来る。それだけの組織と人員を持っていたのなら可能だ。
 可能なことをせず、自分達だけの利益を求めるために他を苦しめる連中を、俺は赦さない。
「俺は貴様らを決して認めない。貴様らの自己中心的な発想のせいで、この国では多くの子供達が死んだ。貴様らが与えられた環境に屈し、唯々諾々と麻薬という魔力を利用することに甘んじた貴様らを赦すはずがない。貴様らは、悲願を達成する直前で俺達に倒されるのだ」
「我々を捕まえるのか?」
 常識からすれば、その質問は正しい。俺の職務上、逮捕は当然だからだ。
 だが、こと我々に至っては重大な間違いだ。
「聞いていなかったのか?」
 俺は笑っていたはずだ。同僚曰く、とてつもないアルカイックスマイルだそうだ。
「俺達は、お前達を倒すんだよ。抵抗した貴様らを射殺しても非は無い」
「人質…」
 この期に及んで常識を出す老人に、いつしか怒りを覚え、罵声を浴びせていた。
「知ったことか。貴様を倒せば、それで充分だ。そいつの命なんてお釣りがでるくらいだ」
 殺人鬼の分際で、麻薬の元締めの分際で、くだらない常識を並べ立てるな。このじじいは既に常識ではない。殺人を選ぶ奴は、非常識なのだ。それに気付かずに、人質を盾にするなんて呑気な常識を並べ立てるなんて、俺から見れば唾棄すべき愚行だ。
 杖で踏み付けられている人質が脅えようが、何かを漏らそうが俺には関係無い。
 老人が怯んだように聞き返してきた。
「それが君の正義か?」
 正義?そんなものはプロパガンダに過ぎない。本質はまるで違う。
 俺達にあるのは、崇高な正義でも、神聖な神でもない。そもそも、俺は常識ではない。非常識には非常識の論理がある。友人が、それが非常識なのだと教えてくれた。
「俺達の趣味だよ。貴様の殺人も、新兵の実戦訓練を兼ねた貴様自身の趣味だっただろう?」
 背後で上司が右手をさっと挙げるのを感じた。
 右端の敵が動く。ちぃBOSSを直接狙うとはいい根性だ。
 俺の右腕が背中のロングダガーの1本を抜き払い、そのまま投げ付けた。
 刃渡り60センチの刀身が闇夜を切り裂き、正確に横方向に1回転して動き始めた敵の右肩に突き刺さり、男は吹き飛んだ。肩を貫通したロングダガーが庭の松の木に突き刺さり、男は磔になった。
 同時に4人の人間が拳銃を撃った。
 俺はロングダガーを投擲した反動を殺さず、ちぃBOSSの前に立つ。4発の銃弾が俺の全身に命中する。これが“難攻不落”。
 2発が俺の脇をすり抜けようとした。右手がその2発を拳で弾く。これが“音速のハードパンチャー”。ふたつの通り名が実力を発揮する。
 計6発の銃弾は、服の下に隠れた俺の全身を特殊装甲に阻まれた。
 俺の行動が意表を衝いたのか、連中の動きが止まる。
 背後で、ふっと笑う音が聞こえた後…。
「Battle Station!」
 ちぃBOSSの凛とした鮮やかな号令。
 潜伏していた同僚全員8名が、塀の上や屋敷の屋根の上、軒下や縁側の窓ガラスを破壊して現れ、銃を構えた。
 敵の動きが止まる。1人は負傷させたが、まだ戦闘不能ではない。
 6対9という戦力比は変化が無い。しかし、連中は少なからずこちらの“性能”に気付き、これが今までの相手とは比較にならないと気付いたはずだ。
「誰が2人だと言った?」
 俺は笑いを噛み殺すように言った。俺の右腕はPDW(個人防衛兵装)に切り替えられ、左手は同僚からビームライフルと渾名される高速徹甲弾を装填した拳銃を握り締めていた。
「警察とは思えないな」
 老人は鋭い声音で言った。相変わらず常識を語っている。
 気付くのが遅い。俺達は、警察でもなければ、犯罪者でもなければ、正義の味方でもない。
「俺達は、趣味を行使する者だ」
 犯罪を“趣味”として行い続けるクソ野郎どもを、国家権力を盾に踏み潰す、非常識な“趣味の集団”。上司から一兵卒に至るまで、全て同じ意志で統一されている。
「貴様らも、俺達も“ただの趣味”で人を潰すんだ」
 どちらが悪かという議論は、主観の相違に過ぎない。
 出来ることは…、
「せいぜい、楽しもうぜ」
 どちらも引けないのだから、楽しむしかないのだ。
 笑いを湛える俺を尻目に、上司は嬉々として叫んだ。
「さあ、抵抗しろ!貴様らは蹂躙される!」

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